Black and White
DALLOG Vol.3

DALLOG-YIN

光あるところに闇あり。

動あれば、静もある。

朝があれば夜もある。

晴れる日あれば、雨もある。

まあ、表あれば裏もあるってゆうことで、

今回は、自分の表と裏について、あることないこと書いていきます。

1972.04.14大阪で生まれたらしい。

が、本当はもっと前から地球に存在してたかもしれない。

小さい頃は、生き物が好きで、虫取り、魚捕りなどをよくしては、観察した

り、飼育した。

表向きは、そうなのだが、裏を返せば幾多の殺戮をくりかえしてきた。

その頃は、海に縁のない所に住んでいたので、海に憧れていたのかもし

れない。

その当時、情報量が少なく、チックタックとスラッシュしか知らなくて近所の

坂を探しては、チックタックで登ってた。

なぜ登るのか?

そこに坂があるからだ。

とゆうか、俺とその友達は、ばかでした。

そう、まさにあれ、俺らと煙は、、、高いところがすきやったのかもしれない。

18歳までは部活のサッカーとサーフィンに明け暮れていた。

まあ、サッカーは、もっぱら温めたり盛り上げたりしてた。

ベンチをね。

でも、そこのスキルは、まあまあ高かったかもしれない。

サーフィンに関しては月2回くらいサーフショップの車に乗せて行っても

らったり、電車で行ったりした。

でもね、貧乏なおれは、海が遠くてあまりサーフィンが上手くなれな

かった。

高校時代なので、そこまで大きなマネーをつかめなかった。

バイトもした。甲子園の売り子、飲食の洗い場など、でも、やっぱり海の近

くに住まないと上手くなれない実情に気づき始めた頃に、スケボー熱が再

燃。

そう、遠くの波乗りより、近くのスケボー。

18歳の春にチョッパーとかにあって病気になる。

おれが、仮性の変態だとしたら、チョッパーはガチで真性の変態だ。

明らかに先天性で何かが違う。

その違いは、今後証明されていくと思う。

あとね、はまじ(INFECTION FILM DIRECTOR)との関わりがでかい。

ビデオを撮ってもらったり、シグネチャーTシャツ&CAPを出してもらった

り。

感無量です。

以前はね、スケボーなんか30歳くらいになったら卒業して社会とゆう歯車

に動かされてギコイ生活おくるんやろな、って思ってた。

が、そんなおれも2年もオーバー。40歳から。

dalthehandsome

あれ?はずれた?社会から?

うん、外れてます。アウトオブ社会。

しらない。政治のこと。日本のこと。

ある意味ギコイ。でも、なんか、見方が変わると、いろいろ今まで見えな

かったなにかが見えたりもする。かもしれない。見られる前に見る。

でも、この歳でスケートボードができることに大変感謝してる。

しかも、キッズスケーターと接することも多い。傍から見たら、子供の誘

拐にも見える。

本当は、スケートボードが好きなのに。

でも、見えるとゆうことは、俺の黒い部分が現れてるのか?

そう、あいつだ!

dalthedarkness2

普段の俺が、『DAL THE HANDSOME』だとすると、仮に名前をつけると

したら、『DALMAN OF DARKNESS』といったところか。

どっちが俺なのか、白黒つけないとな!

。。。

 

dalvsdal

こっちだったのか。