― 自己紹介からお願いします。まずシガさんから。
A.F.P. シガちゃん:(以下 S:)今さら紹介なんてないよ。(笑)
ACT ジュンペイ:(以下 J:)
DJやる時なんかフライヤーに書いているんですけど「シガチャン」がニックネームになるんですか?
S:そうやな。俺はそうは言ってないけど、周りがそう呼ぶようになったのがきっかけかな。「シガ」って名前は神戸に出てきた時に先輩で神戸のバイオレントグラインドの店長やってた人とよく遊んでて、あだ名つけやななって事で「シガ」って付けられた。最初は神戸でよく遊んでたな、ほんで神戸で住むようになって大阪に来たのはそれから。
J:またなんで神戸から大阪に移ろうと思ったんですか?
S:住んでた家が無くなってん。(笑)
家無くなったから大阪に引っ越してん。その時、友達が西成に住んでて、下の部屋空いてるでって言うたから引っ越してん。
― 神戸に住んでる時からパンク、ハードコアのライブに行くようになったんですか?
S:神戸に行くようになる前からライブには1人でよく行ってて、ライブ行ってる時に神戸の子等と仲良くなって、ほんで住むようになっただけやねん。大阪に移ったのは20代やったと思う。
― 自身のブランド「A.F.P.」はどうゆうきっかけでどんな風に出来たブランドですか?
S:キッカケはチョッパーやったと思う。WHATEVERの別ラインでも良かってんけど、ちょっと俺の創るデザインはWHATEVERのモノとは雰囲気ちゃうやん。のりもスケーターのりじゃないし。違って当たり前やしな。そんな感じでせっかくやったら俺のオリジナルブランド創ろうみたいな流れで出来た。だから全然自然に出来たブランドやで、A.F.P.は。
出来て結構経つよ。WHATEVERショップに置きだしたんが初めてやねん。最初の頃はリメイクのパーカーとかTシャツとかやったと思う。ポーチ類は自分の私物で創ってたモノの延長やで。
― 次はジュンペイ自己紹介お願いします。
J:名前はジュンペイです。
「ACT」っていう鞄やコインケースなんかの小物をD.I.Y.で作るブランドやってます。ACTを立ち上げる前はチョッパー君のブランド「WHATEVER」で働いてて、今でも販売しているケミカルリストバンド、今はもう販売してないんですけどフェルトポーチなんかの商品開発、あとTシャツの製作とかもしてました。今は、WHATEVERの3連ポーチを僕が作ってます。スケボーもしてて「OSAKA DAGGERS」の1人でもあります。
― ブランドは何年前に立ち上げたの?きっかけは?
J:8年くらい前やったと思う。会社員として普通に働いている時期があって、このまま誰かに雇われて働くだけの人生は嫌やなと思ったのがきっかけかな。何か行動に移さなアカンと思って当時興味のあった鞄を作ったのがきっかっけでブランドを立ち上げました。ACTって名前もACTION(行動)から取った名前やねん。でもD.I.Y.で作れるモノの限界を感じて、1度プロの世界で数年間勉強した事もあった。でもこれも自分で考えてD.I.Y.でやった事やと思ってます。以前やっていた会社員とは違って、ちゃんとした目標があったから。
― スケート歴はどれくらい?
J:スケボーはもう17~18年はしてると思う。初めてやり出したのは地元友達のスケボーを借りてやってた。でもたぶん3日後には自分のスケボーを持ってたと思うわ。そんで17才くらいの時にチョッパー君と出会ったんがきっかけで大阪に出てくるようになってん。それから大阪でずーとスケボーしてるな。
― 今までのACTでの活動は?
J:2013年に「ACTION OF LOSERS」と言う合同展示会をACT、PARADOX HIROTTON、CRAFTHOUGHT (現:CRAFSORT)、ROSS SIUでやったのと、2014年に横浜で開催された、国内最大級のボードカルチャー&ファッションの展示会の「インタースタイル」に出店しました。
2013年以前にも百貨店で展示会した事もありましたね。
「ACTION OF LOSERS」はPARADOX HIROTTONが声をかけてくれて実現した展示会で、自分の中でもかなり記憶に残る良い展示会やった。
― 2人の出会いを聞かせて下さい。
J:初めて出会ったんは僕がWHATEVERで働いててそこにシガさんが仕事の打ち合わせかなんかで来た時ですよね。
S:うん。そうやったと思う。俺がWHATEVERのデザインしたのを持ってきた時ちゃうかな。
― 2人が出会ったのがWHATEVERと言う事ですが、2人ともWHATEVERとはどうゆう関係がありますか?
S:チョッパーが服のブランドがしたいみたいな事を言い出したんやったと思う。チョッパーも俺もティッシュ配りのバイトしてて、そのバイトを辞める時くらいに。その時俺がバンドTシャツを当時(20年以上前)自分で作ってて、その話を最初チョッパーにしてん。それでチョッパーにTシャツの作り方を教えたんやと思うわ。特にノウハウを教えたって程の事じゃないけど、当時の日本ではそんな事をしている人が少なかった。当時から海外では普通にやってる事やってんけど。
― 今みたいにインターネットもない時代に海外の情報自体がなかなか入って来ないですよね?どうやってそんな情報を仕入れてたんですか?
S:海外誌なんかで自分でTシャツ作って着てるヤツらを見て、最初はこいつら絵めっちゃ上手い!とか思って必死に手書きでTシャツに書いてて、こいつらスゲーみたいなってんけど、後々、実はプリントしてる。みたいなって、そこから色々聞いたりして材料を探して作ったのが始まりやな。で、東急ハンズとかにTシャツ君売ってるやん?その辺からTシャツを結構作るようなってきた。
J:最初に印刷した時はどんな感じやったんですか?
S:印刷出来るんは分かっても版の扱いとか分からんから、印刷した後に版洗っても目を詰まらせたりしたよ。最初は分からんからこんなもんなんかなと思いながら。誰に聞いたら分かるとかも分からんし、調べる事自体が難しい時代やったよな。
未だに20年以上前から使ってた道具なんかも使ってるよ。フレームなんかの壊れてしまったモノもあるけど。
J:Tシャツ君やったら、版の大きさが小さくて印刷出来る大きさが限られてくると思うんですけど、シガサンのデザインは大きいモノもあるじゃないですか、どの様に作ってるんですか?
S:出来たデザイン自体を版分けして印刷してる。デザイン上問題ないように版分けして印刷してるよ。中には無理やりやってるのもあるけど。(笑)
― 話しは戻りますが、チョッパー氏からWHATEVERのデザインを手伝ってほしいと依頼があったのですか?
S:そんな感じやな。だからチョッパーとはかなり古いな。20年は超えてると思う。その頃スケボーやってた子らはもう皆おらんもんな。デザインで言うたらスイミー、ケルト4つ葉、IラブWE等のデザインをやったな。後、フェルトポーチとかもやってたな。基本は俺がデザインしたやつをチョッパーが形にしてくれる。当時からD.I.Y.でずーとやってきてる。
J:そのフェルトポーチ製作、僕が作ってましたわ。手織りの織り機で生地作って縫製まで。たいへんやった。(笑)
― ジュンペイもWHATEVERを手伝っていたとの事ですが その時の話しを聞かせて。
J:さっきも言うたけどWHATEVERでケミカルリストバンド、フェルトポーチなんかの商品開発と製作をやらせてもらってて、ただ、それだけじゃなくデザインもやらせてもらった事があって、今のコインケースでも使ってるデザインのポーチをWHATEVERから出してた。確か「リップルポーチ」とかいう名前やったと思う。
商品開発に携わったケミカルリストバンドも当時はBEAMSBOYに置いてたりしてたよな。企業とやるとロットも凄くて、全部1人でやってたから大変でしたね。懐かしい。最後とか半泣きなりながらやってた。(笑)
― WHATEVERはいつから働いていた?
J:20歳くらいの時からかな?だからもう12~3年前になるかな。最初はTシャツ作りの手伝いから始まって。だんだん色んな物を任される様になっていった。今考えると凄いメンツ達が携わったブランドに居たんやなと思うよ。
― キッカケは何だったの?
J:もともとチョッパー君とはスケボーやってたから友達やって、最初はTシャツ作るから手伝ってくれへん?みたな話しで手伝いに行って、そこから手伝いに行ってる間にリストバンドとかも作るの手伝ったり、器用やったみたい俺が。(笑)それから働くようになった。昔はTシャツも僕が刷ってた時期もあったしね。ほんで俺もWHATEVERで働く前、自分でTシャツを印刷した事があってん。でもその頃Tシャツ君の存在知らんから、木枠に付いたスクリーンにステンシルで抜き取った薄いセロハンみたいなのを張り付けてTシャツ作った事があったわ。でも全然上手く出来へんねん。(笑)ほんでチョッパー君がTシャツを自分で作ってるのを知って、教えてもらった。今考えると時代は違うけど、やってる事一緒やってんなと思うわ。
― シガさんと初めてあった時の印象は?
J:話しは聞いてたけど会った事が無くて、だから最初会った時はイメージ通りでは無くて、はるかにイメージを超えてた。正直カッコ良かったですね。
ほんでシガさんがWHATVERのデザインをしてて、僕もWHATEVERで働いていたので打ち合わせなんかもチョクチョクするようになって、その辺から普通に会って喋るようになっていったと思う。
― そろそろ今回のコラボレーションについて聞いてもいいですか?きっかけはどういうところから?
S:きっかけなあ。純粋にアリスパックが欲しかってん。(笑)ずーと探しててんけどあんまり売ってなくて、あっても値段高いから買われへんかってん。
ほんで、ジュンペイが鞄作れるの知ってて、クオリティーもええモン作れるから、思うような鞄作ってくれるなっと思って、「作ってよ!」って言うたんがきっかけ。
J:正直嬉しかったっすね。シガさんの方から言うてきてくれたのが。
ただビックリしたんが、一番初めの打ち合わせの時にシガさんが持ってきてくれた資料が紙切れ1枚で、しかも軍物雑誌の通販ページの切り抜きで写真めっちゃ小さいんですよ。(笑)それ渡されて「これで!!」って。正直「えーーーーーーー!!」と思いました。(笑)
「これだけですか」って思わず言うたもん。
S:めっちゃ適当やったな。(笑)「こんな感じで」だけやったもんな。(笑)
J:そこから、いろんな軍物屋にアリスパックを見に行って、ほんで最初に出来たファーストサンプルがあったんですけど、それは軍物のアリスパックそのモノみたいな感じやったんですよ。それからセカンドサンプル作る前に、シガさんの家にスワッチ(生地の見本帳)をこんなんどうですか?って持って行った生地が良かったみたいでそこからは早かったです。
― 鞄の出来はどうですか?思った通りですか?
S:めっちゃよかった。大まかな感じは俺が言うて、細部はジュンペイに任せて。金具とかテープ類もジュンペイに任せたんやけど、ええの上がってきたよ。
J:それ聞けてうれしいです。自分ではええの出来たと思っても、他の人から見たら何かちゃうみたいなんがあるじゃないですか。
― オリジナルの形をそのまま作った感じですか?
S:オリジナルのアリスパックはもっとデカイし、普段使いでは大きすぎるねん。だからちょうどいいサイズやった。で、しかも素材もええから使いやすい。ぜんぜん生地がヘタれへんしね。
J:なんでまたアリスパックやったんですか?
S:アリスパックが好きやねん、単純に。昔は軍物って安かったけど、今は軍物も値段が上がってるからなかなか買われへんしな。
― コラボしたカバンの配色は一見軍物のイメージからはかけ離れてますが、色のコンセプトとか有るんですか?それとパンクの人って黒のイメージ有るけどそれをしなかったのはなぜですか?
S:コンセプトと言うより自分が身に付けたい配色がこんな感じやった。裏地がハデなんも裏地がめっちゃ見えるわけじゃないので差し色としてはいいかなって感じでこんな裏地にしてん。
黒も好きやけど、絶対に黒にせなあかん理由はないやん。そこに意味を持ってたらいいねんけど、さほど意味を持ってないヤツが殆どやから。そう言われてやってるだけやったらやる意味がないやん。今回別に黒にしたかったわけじゃないから、ただそれだけやで。ただ、黒は好きやし否定はしてないよ。
J:黒もリリースしないのって声も多かったんですけどね。(笑)
S:ええやん。逆になんで出さなあかんの?(笑)
J:話しは変わるんですけど、ACT以外にコラボレーションしてきたブランドはありますか?
S:無いんちゃうかな?コラボレーションって形ではなかったと思う。
J:えっっ!!無いんですか?何故ですか?今までにしなかったのはコラボレーションに抵抗があったとか?あと今回進行具合はどうでした?
S:そうゆうわけじゃないよ。抵抗とか全然ないし。面白ければ全然やるし。進行はめっちゃよかったよ。結構早かった。2人共大阪やから、スグに会えるからええよな。打ち合わせなんかもしやすいし。(笑)
タイミングも良かったよな。いろんな話が来てるしな。
J:そうですよね。シガさんに、ニューヨークのショップからも取引の話しとかも来てますもんね。ポンポンポンって話しが進んで行きましたね。
― 次に2人のD.I.Y.物創りについて話しを聞きたいのですが、シガさんがカスタムした皮ジャンは派手な配色が多いと思うんですけど、発想は何処からくるんですか?
S:海外の古着屋の写真とか見てたら派手な皮ジャンが置いてあって、めっちゃ欲しいなって思っててんけど、日本はあんまり売れへんのかな?日本に物がないねん。古着屋の知り合いに「売れへんから入れへんねん」てずっと言われてて。既製品としてある、黒、青とか有るねんけど、海外の写真なんかはもっと変な色があってんけど、やっぱり日本にはなくて。しょうがないから塗ったれってなって塗ったんが始まり。そんな感じやで。
J:そこに目を付けるんが凄いですね。普通なら色ものを欲しいと思わないですよね。
S:なかなか色ものが無かったしな。別にええやん、カッコええねんから。もし日本に入ってきてたら買ってたと思う。
J:基本は古着屋で買うんですか?
S:そうやな。あとは貰ったりとか。ほとんど貰ってる。(笑)
とりあえず声はかける。「なんかないの?」って(笑)
一同:(笑)
― クラストパンクの人たちはロンジャンのイメージがありますが、形はどんなんでもいいんですか?
S:そんなにこだわってはないよ。SCHOTTとかも着てたし。
昔はロンジャンはあんまり無かったしな。SCHOTTみたいなのは売ってた。
SCHOTTタイプが普通に売ってて、ロンジャンタイプはあんまり日本には無かった。あったかもしれんけど、当時は情報も少ないから知らんかったな。着てる人とか見たら、外国の写真で見たヤツ着てるわってなってた。その人に聞いたらここの店に売ってるよ。みたな感じ。ブーツとかもそうやな。
J:シガさんが若いころは何処で革ジャン買っていたんですか?
S:一番最初は質屋で買った。(笑)皮ジャン売ってる所とかなかったし、あっても高いから買われへんし。普通、服屋とか見に行くやん?でも皮ジャンはあんま無くて、たまたま質屋に売ってて、ここあるやん!!めっちゃ安いやん!!ってなってん。当時は古着屋も少なかったよ。今みたいにはなかった。
J:質屋があるのも時代を感じますが、皮ジャンが質屋に有るのが凄い。
S:有るある。質屋にあるよ。
最初は金無かったからビニジャン買ったからな。革ジャンみたいな形の奴。高いから買われへんもん皮なんか。しかも、2000円くらいで売ってた。ビニールやから。(笑)この形が欲しいと思ったからそれでよかってん。
16歳くらいの時に買ったんかな。でも煙草とかで溶けんねん。(笑)
けど、こんなの着たいと思うやん。7~8万する皮ジャン、高校生が買われへんし。
J:シガさんが初めて作った物は何ですか?
S:リストバンドちゃうかな。昔からリストバンドは良く作ってた。買ったら高かったし、買われへんから。おそらく始めは、合皮で作ったと思う。当時はロンドンコーンやったりピラミッド鋲もあんまり売ってなかったから、釘付けてた。(笑)当時は釘付けてる人いっぱいおってん。鋲ベルト買ってばらしたりして鋲を取ってた。バラ売りの鋲買うよりベルト買った方が安かってん。(笑)
それとなんか代用品使ってた。アーチェリーの先が売っててそれを代用品にしててん。ロンドンコーンの変わりみたいな。先が丸くなってるねん。他は打ち込む鋲が安くてそれを使ってた。ロンドンコーンが無かったもん。初めてのビニジャンにも最初は丸ピラ鋲を打ってたからな。(笑)30個何百円のヤツやねん。ペッラペッラのやつ。(笑)
J:クラストパンツもシガさんのイメージなのですが最初に作ったのはいつですか?
S:そんなん作ろう思って作ってないよ。(笑)履いてたら破けるし。それを直して履いてただけ。今は、海外にもそうゆう人らがおるってので広まっただけちゃうかな。
J:今履いてるクラストパンツのは何年物ですか?
S:これでも10年近くは履いてると思う。原型は留めて無いけど。(笑)ボロボロやもんな。
― 次ジュンペイのD.I.Y.を聞きたいねんけど。ジュンペイもクラストパンツ持ってるやん?それはどういう経緯?
J:俺も作ろうと思って出来た訳じゃなくて、スケボーやってたらズボンも破けるし、その破けたところを直してってのを繰り返してたら自然と出来たってかんじやな。スケボーしてたらどうしても破けるし。若い頃はお金ないから、破けたからって買ってられへんし。
S:しょうがないよな。
J:直し屋なんかも高いから持って行かれへん。ほんなら自然と自分で直してた。だからクラストパンツを意識せずに作ってるんやと思う。勝手に思うんですけど、そうゆう流れがクラストパンツの始まりじゃないんかな?
S:そうやと思うで。俺らの時代のパンツってものすごく生地が弱くてスグ破けるねん。ほんまんに弱いねん。子供のころは高いし買われへん。ほんで直すしかないやん。
J:そうですよね。僕もほんまにそうやって直してたら自然に出来てました、クラストパンツが。
それと俺が初めてD.I.Y.で作った物で言うと初めてかどうかは定かではないけど、靴下のリブの部分でリストバンドを作ったのを覚えてる。(笑)破けた靴下があって何か使われへんかなと思って。リストバンドにしてみました。そこにマジックかなんかで色塗って。鋲打ってって感じ。(笑)俺らの時代はわりとすんなり鋲も買えたからね。ロンドンコーンもピラミッドも売ってた。後は有るものをカスタムしたり、パッチつけたりバッジ付けたり。その後からカスタムじゃなくて1からモノを創るようになっていった。なんでそこに行きついたかと言うと、結局自分の欲しい物が既製品では無くて。無かったら作ってまえって発想がD.I.Y.の物を創るキッカケかも。シガさんのさっきの話しじゃないけど、手に入らんかったら作ってまえって発想やと思う。
S:手に入らんかったらしょうがないもんな。
― やはりシルク印刷やりだしたのもそんな感じすか?
S:そうそう。着たいバンドのTシャツ売ってないし。着たいから作っただけ。
J:なんか周りにおる子等はそういうコ多い。無いから有るもんで我慢するじゃなくて、どうにか頭ひねって作ろうとする。そこにD.I.Y.の価値があるんかな。
有るもん作ってもしょうがないし。それ買ったらええやんって思う。
S:本見てやってるだけじゃ意味無いもんな。
J:ほんまその通りですね。D.I.Y.の精神部分は凄い大事やなと思う。もちろんこういう環境におるから後押しは有るんやろうけど、やっぱ元々がそういう発想を持っていた気がする。後は環境が凄く重要やなと思う。自分の想像とモチベーションが上がるから。
― 今度はパンク、ハードコアについて話しを聞きたいのですが、最初に聞いたバンドとパンクに出会ったきっかけを教えて下さい。
S:最初はアナーキー。でも音源聞く前はあんまり好きじゃなかった。
当時はパンチパーマにスプレーで色入れて、チェーンぶら下げて、安全ピンいっぱい付けてみたいなファッションやったから子供の頃は理解出来んかった。でも音楽聞いたらこんなに面白いんや!!って思って、そこからいきなりハードコアに走ってん。パンクロックとかは聞いて無かった当時は。16ぐらいの時リアルタイムでDISCHARGEがもうおったから、いきなり入って行った感じ。もうその頃に街中にハードコアの人もおったしな。
J:当時と今のパンクシーンとはどう違いますか?
あと当時の秘話なんかあるんですか?
S:全然違うよ。まずもっと怖かったし。ライブとかも怖かった。
秘話なんか言われへんわ。(笑)ややこしい事になるからな。
15~16の時から音楽にどっぷりハマって聞き出したけど、俺の先輩とかは早い人で中学生の時から聞いてたから、俺は遅かった。
― パンク、ハードコアを聞くきっかけはどんなところにあったんですか?
S:流行ってたのは流行ってた。周りの先輩で聞いてる人がおったし。でも最初は見た目が嫌いやって聞いてなかってん。(笑)ホンマに当時の日本のバンドのビジュアルは凄かった。わけわからんかってん。(笑) でもライブとか行ったらハードコアの人とかがおってん。その人らはめっちゃカッコよかった。当時から凄いビスジャン着てたり。トロージャンの人とかもおったし。
― シガさんが着ているような皮ジャンは、買ったレコードのジャケット見て作ったりしてるんですか?
S:そうやな。ハードコアのジャケはかなりカッコよかった。イギリスのパンクに影響を受けてるな。でも、先輩とか先行ってる人は海外の知り合いとかに手紙送ったりしてヨーロッパのハードコアのモノも手に入れてたよ。
― 皮ジャンに付いてるキラキラのバッヂやDISCHARGEのメンバー1人1人のバッヂなんて売って無いですよね。これも作ったんですか?
S:こんなバッジ無いやん。(笑)最初はバッヂマシーン持ってないから、持ってたバッヂ分解して自分で張ったりして作ってた。昔はキラキラのバッヂとかもあってん。作りたいけど、プリントとかも個人でやるのは難しいから何かアイデア無いかなと思ってて、たまたまキラキラの折り紙見つけたからそれに柄を張って作った。見つけた時「コレいけんちゃう!!」と思って作った。
J:皮ジャンに付いてるワッペンも手縫いじゃないですか。なんでこれを作ろうと思ったんですか?
S:なんか試しで作っただけやと思う。面白そうやから。
J:でもクオリティーが実験のレベルじゃないですよね。めちゃめちゃ上手いですよね。
S:慣れるで、やってたら。手縫いやから時間はかかるけど。ワッペンはいいよ。質感とかもプリントとかとはちゃうし。でも誰も真似せーへんわ。(笑)
誰でも出来ることやけどな。ちゃんとした刺繍のやり方じゃないから本来ちゃんとやれば質感とかももっと変わると思う。
― 話し戻しますが、やっぱ影響うけたんはDISCHARGEですか?
S:最初の頃は聞いてたけど、最近はまた違うのを聞いてるな。
J:ビジュアルだけじゃなく、やっぱり精神部分でもパンクやハードコアシーンから影響を受けてると思うんですけど、それはどうゆう所ですか?
S:精神部分、ちょっとはあるんかな?あんまり深く考え過ぎんようにしている。影響は受けてるやろうけど、逆にそうゆう思想にどっぷりハマりたくない。柔軟性が無いほうがイヤやから。物事ってそんな単純でもないと思うし。何かに偏ってすむ事じゃないし。スグにどっちとか言うけど、それはちゃうやろと思うし。
J:それは感じます。シガさんがするデザインってそんな物が多いなと。例えばWHATEVERのケルト四葉のデザインに“flexible”て描いてるじゃないですか。そうゆう所だったり、スイミーの物語をデザインとして使う所だったり。他に影響受けたバンドはありますか?
S:なんやろ、めっちゃ聞くからな。(笑)
J:そうですよね。SEDITIONとかもシガさんから教えてもらったし。タートルアイランドもそんな感じやった気がします。多分ですけど、シガさんがWHATEVERの事務所に紙ジャケのタートルアイランドのCDを持ってきて聞かせてもらったんが初めてです。タートルアイランドはライブで見た時が衝撃でした。
S:あったな紙のジャケットのヤツ。覚えてるわ。
― タートルアイランドのヨシキ君とは古くからの友達ですか?
S:そうそう。もともとORDERってバンドやってん。ORDERやってる時から友達やってん。その頃から遊んだりしてたから。オモロいやん、ああゆうのやる子等って。SEDITIONも未だに聞くけど、オモロいバンドやなと思ったよ。ケルトのあんな感じをトータルで出してるバンドとか少なかったし、前にもキルトスカート履いてるバンドとかもあったけど、やっぱちょっと違ったよな。トータルイメージがカッコよかった。
― シガさんは若い世代やからどうのとかって言う昔ながらの考えは無い感じがするんですけど、その辺りはどうですか?
S:そんなん無いな。そんなん言うてもしょうがないしな。違うのは当たり前やから。音楽を聞いた時代も違うから、入りが違えば意味も違ってくると思う。スケーターでもそんな事あると思うねん。俺らの時代はブーツやラバーソール履いてやってる人もおったし。めっちゃモヒカンしてる人とかもおった。バイオレントグラインドの頃はそうやった。もともとがパンクの人がやってた店やから。そうゆうパンクのスケーターが多かった。
J:そうそう、シガさんがバイオレントグラインドで働いてた噂を聞いたんですけど。デッキテープ(スケボーの上に張ってある滑り止め)を張ってたとか。
S:働いては無いけど、手伝いしてた。ていうか手伝いせえ言われたからしてた。(笑)いっつも溜まってたから。おるから、デッキテープ張れって言われてただけやで。
J:当時はシガさんスケボーしてたんですか?
S:ちょっとしてたけど痛いからすぐ止めた。(笑)コケたらい痛いやん。面白そうやったからやってみたけど。ちゃんとやらなウマなれへんやん、やっぱり。
J:今考えると、やっぱりパンクシーンとスケートシーンは密接な関係が当時はあった様に思うんですけど、実際にそうでしたか?
S:海外ではパンクの子等がスケボーもしてて、その影響を受けて日本でもしてる子等がおってって感じ。
J:僕らがスケボー始めた90年代後期はHIPHOPスタイルのスケーターが多くて、パンクなスケーターはマイノリティで色もん扱いされる事もあったんですけど、当時はどんな感じですか?
S:特にパンクだろうがそうじゃなかろうが関係なかった。関係ないやん、みんな好きなモノってちゃうし。たまたまスケボーってトコが共通してるだけで、スケボーやってるからこの音楽聴かなあかんとかこんなファッションせなあかんとか。しょうもないやん。ぶっ壊した方がいいでそんなん。
― スケボーはアメリカが発祥じゃないですか、アメリカのバンドも聞いていたんですか?
S:バイオレントグラインドで遊んでた頃から聞き始めたくらい。有名バンドしか知らんかったけど、音源が手に入りそうな。ジャケットとかでもスケボー持ってるヤツとかもあるもんね。子供の頃からスケボーが身近なもんやから日本とは違うよな。こっちでチャリンコ乗ってるんと同じ感じちゃうの。
― では最後に今後の予定は?さっきちょっと出たニューヨークの話しとか。
S:ニューヨークの話は友達が紹介してくれた人で、友達の友達やねんけど、もともとは神戸で古着屋やってた人がニューヨークに今住んでて、俺の友達から連絡きて友達がニューヨークで店やってるから卸しませんかって話しで、ええ機会やからやろうかなって言うので、今話しを進めてる感じかな。パンク、スキンズ系のお店でセレクトショップ的な感じみたい。そこは日本食もやってて、めっちゃええ感じって言うてた。今回の鞄の件が有るからまだ商品は向うには送って無いねんけど、進めていこうと思ってる。面白い事やん、日本だけじゃ無く外国の人持ってたら。
J:是非早めに送りたいですね。
なんかシガさん他にイベント告知とか有ります?
S:9月はシックボーイナイトがあって、10月もDJやる予定が入ってる。ライブが終わった後のアフターDJやけど。歌謡曲を流すという。(笑)
J:例えばどんな歌謡曲流すんですか?最近の曲ではないですよね?
S:そやな古いな。沢田研二から中森明菜とか。(笑)でもたまに俺はAKBをかけるよ。(笑)
一同:(笑)
J:皆、歌謡曲も聞いてますもんね。
S:そや。皆聞いてるよ。パンクやから歌謡曲聞いたらアカンとか無いやん。
子供の頃はあったけど。今はそんなんじゃなくなったよな。
J:次のコラボをACTから提案なんですけど、シガさんの好きなリストバンド、ポーチなんかの小物で、テキスタイルを自分らで作ってシリーズで出したいんですけど、どうでしょう?僕らはD.I.Y.でオリジナルプリント生地が作れるんで。
S:ええんちゃうかな。なんかコラボでしよう。編んだ生地とかでも作りたいよな。編み機欲しいわ~。編んで作ったら面白いねんけどな~。でも生地作るの大変やしな~。なかなかできへんよな、生地を糸から作るのは。
J:じゃあ是非次のアイテムも進めていきましょう!!